ヘンクツな私の“自然派” 生活流儀

〜クレイ、ハーブ、アロマやその他、自然療法マニアによる、生活の知恵や育児についての放談〜

誰かを亡くして悲しい気持ち、どうにかしたいけど動けないもどかしい気持ちを抱えている人へ

最近のこと

祖母の危篤のしらせに、急遽子ども三人を連れて片道五時間の帰省をし、その2日後に式を終え、バタバタと過ごした5日間ののちに家に戻り、さらにまた一週間が過ぎました。

今でも、元気だった祖母の微笑み、亡くなる前夜に目を見てうなづいてくれたこと、亡くなった直後の肌の熱さが胸を締め付けます。年齢を考えたら、いつか来て当たり前の別れだということはわかっているのですが。

子どもたちの夏休みも重なり、なかなかのんびりできずに日々を過ごしている中で、少しずつ心の整理をつけているところです。

『行いはのこる』

身近な死に接するのは、2人の祖父と今回の祖母で三回目です。でも慣れるものではありませんね。身近な存在であればあるほど。

私の長兄が告別式で故人の思い出を語ったのですが、内村鑑三氏の著書から言葉を引用し

行いはのこる

と言っていました。

姿や声の記憶は薄れていくけれど、故人がおこなってきたことは、周囲の思考や生活習慣などに自然と組み込まれ、気づかないうちに次の世代へと引き継がれていく。

私自身が祖母から教えられたことは、私の中で今も息づき、暮らしの土台となっていることに気づきました。

祈りの効用

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特定の宗教に入っているわけではありませんが、祈りというのはとても意味があると思っており、お墓参りや3月11日など折に触れ祈りを捧げます。祈りに言葉は用いずに、あたたかい光を胸に、気持ちを故人に寄り添えているだけです。言葉を添えようとしてもうまくまとまらず、自分の考える『祈り』にはなりません。それは「神様、○○できますように!」のお願いとは別物です。祈りに自分への見返りを要求するのはちょっと違うかなと思っています。忘我し、何かに心を寄り添わせるのです。少し瞑想と近い感覚もあります。

祈ると自分の悲しい気持ちやどうにかしたいけどできない気持ちが少し昇華される感覚があるので、そういう点では見返りがあるのかも。

 

想いを綴る

そして、今の自分の想いを文章に綴ることも、故人に気持ちを寄り添わせるという意味で、祈りに近いものだと思います。文章で綴るだけでなく、絵や音楽で表現することもできるでしょう。十分に気持ちを寄り添わせることができたなら、何かが昇華されていく感覚が得られるかもしれません。

 

最後に

誰かを亡くして悲しい気持ち、どうにかしたいけど動けないもどかしい気持ちを抱えている方。

心をしずめて祈りを捧げてみませんか?

ベランダで朝日を浴びながら。寝る前にベッドに横たわって。思い出の場所に立って。

ほんの少しの静けさがあれば、たった1分でもいいでしょう。

不思議と心が落ち着いてくる、かもしれません。

 

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